ここは明日香の病室――「おかしいな…。朱莉さんが電話に出ないなんて」翔は溜息をついた。「あら?朱莉さん電話に出ないの? 珍しいわね。いつもならすぐに電話に出るのに」明日香は病室のベッドの上で雑誌をめくりながら翔を見た。「うん。確かに少し気になる。例え出られなくても普段ならすぐに折り返しかかってくるのに……」翔は鳴らないスマホを握りしめた。「何かあったのかしらね? 一応琢磨に電話してみたら?」明日香のアドバイスで翔は琢磨に電話を掛けてみると3コール目で琢磨が電話に出た。『もしもし。どうしたんだ? 夕方にはそっちへ行こうと思っていたんだが、何か急用か?』「ああ……急用って訳じゃないんだが、さっき朱莉さんに電話を入れたんだが出ないんだよ。それに折り返しの連絡も無いし……」『朱莉さん、今日は映画の試写会に行くって言ってたから、それで出ないんじゃないのか?』「へぇ……映画の試写会にか。誰と行くんだ?」『おい……お前、喧嘩売ってるのか?』受話器越しからイラついた琢磨の声が聞こえてくる。「急にどうしたんだよ? 何か気に障ることお前に言ったか?」『京極って男と行くんだってよ』「京極……京極ってあの朱莉さんに犬を預けた?」『え? おい翔。お前、京極って男知ってるのか?』「偶然外で会って紹介されたんだ。今回沖縄旅行へ行く時も偶然会って……」『お前、まさか旅行へ行くこと告げたのか?』受話器越しから琢磨の怒りを抑えた声が聞こえて来る。「ああ、つい……」『お前……この馬鹿! 何でもっと早くあの男と会ったことを俺に言わないんだ!? あの男はなぁ、ことあるごとに朱莉さんに接触してるんだよ! ひょっとする俺達のことを探っている産業スパイだったらどうするんだよ!』受話器越しから琢磨が怒鳴りつけてきた。「さ、産業スパイだって?」そんなまさかと翔は思いたい。だが確かにあの男は必要以上に朱莉のことを見守っていた気がする。自分達だって朱莉の母親が緊急搬送される姿に気が付かなかったのに、あの京極と言う男はそれに気が付いていたのだから。しかし突然琢磨の方から謝罪してきた。『いや……すまなかった。翔……俺が悪かったんだ。本当はあの京極って男は以前から朱莉さんに近づいていたんだ。だが朱莉さんが契約書の件で浮気は駄目だと書かれていただろう? 自分は京極に好意
—―その頃。 京極に追及されていた朱莉は俯いたままじっと身じろぎをしないでいたとき。今度は朱莉の個人用のスマホが着信を知らせた。朱莉はスマホをチラリと見て目を見開いた。(九条さん!)「朱莉さん……今度は違うスマホが鳴っていますが?」京極が朱莉に声をかけてきた。「あ、あの……電話……出てもよろしいでしょうか?」朱莉は遠慮がちに京極に尋ねた。「ええ、別に構いませんよ。どうぞ」朱莉がすみませんと言って電話に出る姿を京極は黙って見つめていた。「もしもし……」『朱莉さん! 今、誰かと一緒にいるのか!?』受話器越しから琢磨の切羽詰まった声が聞こえてきた。「あ、はい……。京極さんと一緒です……」朱莉は目の前に座っている京極の姿をチラリと見た。京極は自分の名前が出たので、朱莉をじっと見つめた。『そうか……やはり朱莉さんは京極と一緒にいたんだな? だからさっきは翔の電話に出なかったのか?』「は、はい……」『分かった。朱莉さん、電話を京極に代わってくれ』「え? い、一体何故ですか?」朱莉は琢磨の突然の申し出に驚いた。『何故って……朱莉さん。今困ったことになっているんじゃないのか? 俺が朱莉さんに代わって話を聞くよ。京極に電話を渡してくれ』(九条さん……!)確かに朱莉は今ピンチの状態に陥っていた。(だけど……九条さんを巻き込むなんて……)『いいから、俺に任せろ。元はと言えば朱莉さんをこんなことに巻き込んだのは全て俺達の責任なんだから』受話器越しから琢磨の気遣う声が聞こえてくる。「分かりました……」朱莉はスマホを京極に差し出した。「あの……電話の相手は九条さんからなのですが……京極さんとお話がしたいと言われているので、代わっていただけますか?」「僕と……話ですか?」「はい、よろしいでしょうか?」「ええ、僕は構いませんよ。ではお借りします」京極は朱莉からスマホを預かると耳に押し当てた。「もしもし……」『京極さんですね? 朱莉さんに何の話をしようとしていたのですか?』「何故貴方にお話ししなければならないのですか?」『朱莉さんを苦しめているのじゃないかと思いましてね』「苦しめている? それを貴方が言えるのですか?」京極は口角を上げた。『どういう意味でしょうか?』琢磨は苛立ちを抑えながら尋ねる。「僕から言わせれば、
朱莉が電話を切ると、早速京極が話しかけてきた。「朱莉さん。先程の彼も今沖縄にいるのですね。明日、皆さんと合流されるのですか? でも何故副社長の秘書である九条さんも沖縄へ行かれているのですか? 本当は何か沖縄でトラブルが起こったのではないですか?」「京極さん……」 彼はマロンを引き取ってくれた恩人だ。だけど、これ以上何か口を開けば翔との契約婚を見抜かれてしまうかもしれない。万一世間にばれてしまえば、大変なことになってしまう。(私がもっとうまく立ち回ることが出来たなら……こんなことにはならなかったかもしれないのに……)京極に心配をかけ、九条や翔。そして明日香に迷惑を掛けてしまうことになるかもしれない。自分一人ならいくらでも犠牲になっても朱莉は構わないと思っている。けれど、どうすれば今の危機的状況を脱することが出来るのか、もう朱莉には分からなくなってしまっていた。すると京極がため息をついた。「朱莉さん……。僕は先ほども言いましたが、他の人達はいざ知らず、貴女だけは困らせたくは無いんです」朱莉は黙って京極を見つめた。「貴女が困るのであれば……いいでしょう。僕はこれ以上あなた方の関係を追及するのはもう止めます。九条さんにも言われましたが、考えてみれば僕は第三者の人間ですから、口を挟む権利なんか初めから有りませからね。だけどこれだけは教えてください。貴女が沖縄へ行く本当の理由を教えて下さい。お願いします。僕は貴女が本当に心配なんです」そして京極は頭を下げてきた。一方、これに驚いたのは朱莉の方だ。「そ、そんな京極さん。どうか頭を上げてください。それに京極さんはマロンを引き取ってくれた恩人ですから」(私を気の毒に思って京極さんはマロンを引き取ってくれたのだから……何もかも黙っている訳にはいかないわ……)「分かりました。沖縄で何があったのかお話しま………」そう。別に全てを話す必要は無いのだ。(皆さん。ごめんなさい……)朱莉は心の中で謝罪をすると重たい口を開いた。「実は……沖縄で明日香さんが体調を崩して入院してしまったんです。当分の間は絶対安静らしくて……それで私が沖縄に行って……その、明日香さんの身の周りのお手伝いを……」朱莉はテーブルの下で両手をギュッと握りしめながら京極を見つめる。(大丈夫、全てを話している訳じゃないけど、嘘をついているわ
「では、朱莉さん。そろそろ帰りましょうか? 明日の準備もあるでしょうし。お引止めしてすみませんでした。映画は……そうですね。少し照れ臭いけど母と2人で観に行って来ることにします」京極は照れ笑いする。「そうですか……お母様と」(お母さん……早く元気になったら一緒に出掛けたいな……) 2人並んで歩きながら、京極はマロンの様子を朱莉に詳しく教えてくれた。あれ以来マロンはとても元気に遊びまわっていると言う。それを聞いて朱莉は安心した。**** 億ションへと続く並木道を歩きながら京極が話しかけている。「朱莉さん。明日の飛行機の時間は何時の便ですか?」「はい、御前10時の便になります」「10時ですか……なら僕が車で羽田空港まで送りますよ。荷物もあるでしょうし」朱莉は京極の提案に驚いて慌てた。「そんな! とんでもないですよ。沖縄へ持って行く荷物はもう先に郵送手続きをしたんです。本当に身軽な格好で行くので大丈夫ですから」「いえ、送ります。送らせて下さい」京極は立ち止まると朱莉をじっと見つめた。その顔はとても真剣で、そこまで強く申し出をされれば朱莉は頷くしか無かった。「すみません……お仕事もあるのにご迷惑を……」「迷惑だなんて言わないで下さい。だって僕から申し出たんですから。でも……そうですね。もしそう感じられるのであれば……朱莉さんの沖縄の住所を教えて下さい」「え? わ、分かりました。では決まったらメッセージで送りますね」「ありがとうございます」京極は満足そうに笑みを浮かべた—― 億ションの前で別れた後、朱莉はエレベーターに乗り込み溜息をついた。(翔先輩の電話が切れて九条さんから電話があったってことはきっと翔先輩が電話に出なかった私を気に掛けて九条さんに連絡を入れてくれたんだろうな……。どうしよう、心配かけさせちゃった。部屋に戻ったらすぐに謝罪のメッセージを送ろう。それに九条さんにも迷惑かけちゃったから電話もいれないと……)朱莉は頭の中で部屋に帰ったらやるべきことを頭の中に思い浮かべるのだった——****ここは沖縄の病院――ふさぎ込んだ琢磨が明日香の入院している個室の椅子に座っている。「ちょっと、仮にも私の前でそんな辛気臭い顔しないでくれる? こっち迄気がめいってくるわ」明日香が雑誌を閉じると琢磨に言った。しかし、琢磨はその台詞
「ただいま……」朱莉は肉体的にも精神的にも疲弊しきっていた。何とか気力で自分の部屋の扉の前に辿り着くと、鍵をと出してドアを開けた。するとドアを開けると同時にスマホにメッセージが届いた。相手は琢磨からであった。「九条さん……。電話しようと思っていたのに、先にメッセージが届くなんて……」朱莉はスマホをタップして画面を確認した。『朱莉さん、25歳の誕生日おめでとう。1日遅れになるけど、明日何かお祝いしよう』メッセージにはハッピーバースディのメロディーと、ケーキの上に乗せたろうそくがパチパチと燃えている動画が添付されている。「履歴書で私の誕生日覚えていてくれたんだ……ふふ。可愛い動画。わざわざ探して、添付してくれたのかな?」その姿を思い浮かべ、思わず朱莉の顔に笑みが浮かぶ。ここ何年も誕生日のお祝いの言葉は母からしか貰っていなかっただけに、朱莉は嬉しく思い、スマホをギュッと握りしめた。(九条さんて、本当に気配りが出来る人なんだ……だから仕事も出来て、翔先輩の秘書を務めていられるんだろうな……)でも……朱莉が一番お祝いの言葉をかけて欲しい相手からは……。「翔先輩は、きっと今頃明日香さんと一緒にいるんだろうな……」朱莉は寂し気に呟き、部屋に入ると琢磨にお礼と謝罪のメッセージを送ることにした。本当は電話の方が良いかもしれないが、京極のことを聞かれたくはなかったからだ。『九条さん。本日はご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。誕生日のメッセージ、とても嬉しいです。明日からまたお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします』メッセージ内容を確認すると琢磨に送信し、次は翔に電話に出ることが出来なかった詫びのメッセージを送ることにした。『本日は、電話に出ることが出来ずに大変申し訳ございませんでした。明日、沖縄へ行きます。どうぞよろしくお願いいたします。明日香さんにもお伝えください』「……これでいいわね」翔にメッセージを送ると、朱莉はネイビーに水と餌を与える為にリビングへ向かった——「ネイビー。明日は暫くの間ケージの中にいないといけないけど、我慢してね」餌を食べているネイビーの背中を撫でながら朱莉は語りかけるのだった……。 その夜――朱莉の元に病院にいる母から電話が入った。誕生日のお祝いの言葉と気を付けて沖縄へ行くように母から言
今日は朱莉が沖縄へ旅立つ日である。朱莉は6時半に起きると、手早く朝食を取って準備を始めた。 その時、朱莉は2台のスマホに翔と琢磨、それぞれからメッセージの返信が入っていることに気が付いた。琢磨からは羽田空港で何か不明な点があったら連絡するようにと書かれており、翔からは気を付けて沖縄に来るようにと書かれていた。朱莉は翔からのメッセージを見て笑みを浮かべた。(翔先輩、少しは私のこと気にかけてくれてるのなかな……?)すると、再び朱莉の個人用スマホにメッセージの着信を知らせるメロディーが流れた。その相手は京極からだった。『朱莉さん、8時半にドッグランの前で待っていて下さい』短い文章で時刻と場所だけを指定してあった。そこで朱莉はすぐにお礼のメッセージを送り、出発する準備の続きを再開した—―—―8時半朱莉はジーンズ姿にTシャツ、上にブラウスを羽織った姿でドッグランの前で待っていると、すぐに京極がベンツに乗って現れた。「おはようございます、朱莉さん。お待たせしてしまいましたか?」「おはようございます。いいえ、たった今来たばかりなので全然待っていませんから大丈夫です」朱莉は頭を下げて京極に挨拶をした。「荷物はそれで全部ですか?」京極は朱莉の足元に置かれたキャリーケースに肩から下げたキャリーバッグを見つめる。「はい、これだけです。少ないでしょう?」朱莉は笑みを浮かべた。「あの……所で朱莉さん。そのキャリーバックの中身は何でしょう?」京極に尋ねられ、朱莉は眼を伏せると頭を下げた。「申し訳ございません。実はマロンを手放した後、あ、あのウサギなら……アレルギーが無いから大丈夫と主人に言われて……」こんな嘘が勘の良い京極に通じるだろうか?しかし京極はニコリと笑う。「別に謝ることはありませんよ。要するに御主人からウサギなら飼ってもいいと言われたんですよね?」「え……?」俯いて朱莉は顔を上げた。まさかあの京極が苦し紛れの嘘を信用するなんて。「信じますよ。他の人の言葉ならないざ知らず……僕は貴女の言う言葉なら何だってね」それはとても真剣な眼差しだった。「京極さん……」京極からそのような言葉を言われると、朱莉はますます罪悪感という鎖で自分が縛られていくように感じた。(どうしてこの人はここまで私を……?)人の良い京極に嘘をつくのは本当に心苦し
朱莉と京極は第1旅客ターミナルに来ていた。「あ、あの……京極さん。本当にもうここまでで結構ですから」朱莉はIT企業の社長という立場にある京極に自分のような者に付き添ってもらうのが申し訳なく、何度も断りを述べた。「いえ、いいんですよ。今はゴールデンウィーク期間中で、僕は暇人なんですから」京極は笑顔で言う。「ひ、暇人って……」(そんなはずは無いのに……。だってここへ向かう間も何回もメッセージや電話がかかってきて、京極さんは全て対応してきたのに)「それより朱莉さん。思った以上に道路が空いていたので余裕をもって羽田に着くことが出来たので、何処かで珈琲でも飲みませんか?」「は、はい」もう搭乗手続きも済んでいるし、荷物も預けている。世話になった京極の為に自分が出来るのは彼の要望に応えてあげることだろう……朱莉はそう思って返事をした。 2人で近くにあるカフェに入り、朱莉はアイス・カフェ・ラテを、京極はアイス・ティーをそれぞれ注文し、2人掛けの丸テーブルに座ると京極が話しかけてきた。「明るい日の光で朱莉さんを見て思ったのですが……朱莉さんの瞳はよく見ると黒では無く、ブラウンの瞳をしているんですね」「はい。実は父方の祖父がイギリス人なんです。もっとも祖父は早くに亡くなったそうで、私は会ったことも無いのですけど」すると京極は頬杖をつくと真顔で言った。「ふ~ん……だからだったんですね。朱莉さんが人並み以上に美しい容姿をしているのは」「え……ええっ!?」あまりの唐突な京極の言葉に朱莉は顔が真っ赤になってしまった。「そ、そんな大げさな……今迄一度だって誰からもそんな風に言われたことありませんよ」朱莉は慌てて下を向くとストローでアイス・カフェ・ラテを飲んだ。「そうなんですか? あの九条さんにも言われたことが無いのですか?」いきなり京極の口から琢磨の名前が出てきたので朱莉は驚いた。「な、何故そこで九条さんの名前が出てくるのですか?」そう、普通に考えればそこで名前が出てくるのは琢磨ではなく、夫である翔のはずなのに何故か京極は琢磨の名前を出してきた。「いえ。何となくそう思っただけです。深い意味はありませんよ」そしてニコリと笑う。「……」朱莉は黙って京極を見た。朱莉の方こそ京極の行動が謎で仕方が無かった。京極は背も高く、スポーツマンタイプに見える
明日香が入院している特別個室に翔、琢磨、明日香の3人の姿があった。翔と琢磨はそれぞれPCに向って仕事をしている。そして明日香は液晶タブレットでイラストを描いていたが、やがてペンを置くと伸びをした。「う~ん……やっと終わったわ」「明日香、仕事が終わったのか?」翔はPCから視線を上げると明日香を見た。「ええ。終わったわ、今回の依頼はゲラを早く貰えたのよ。だから余裕をもって読むことが出来たからね」「明日香は速読が得意だからな。1〜2回読み込むことぐらい簡単だろう?」翔が明日香の描いたイラストを覗きこんだ。そこには血まみれの人形を抱えた青白い顔の女性が廃墟の中に佇む不気味なイラストが描かれている。「うっ! あ、明日香……。今回のイラストなんだが……どんな内容の小説なんだ……?」翔は顔をしかめた。「ええ。呪われた人形を偶然手に入れてしまった女性に次々と襲い掛かる恐怖の世界を綴った小説よ。この作家さんは新進気鋭のホラー小説家らしいわ」「明日香のイラストは評判がいいからな。イラストレーターとして知名度も高いし。でもあまり無理に仕事をするなよ? 今は安静にしていないと……」翔は明日香の頭を撫でると、今迄無言だった琢磨が乱暴に椅子から立ち上った。「ちょ、ちょっと琢磨! 驚かせないでよっ!」「どうしたんだ? 突然」2人の問いかけに琢磨は乱暴に答える。「別にっ! そろそろ朱莉さんの乗った便が到着する頃だから俺はもう飛行場へ行くからな」どこかイライラしている琢磨の口調に翔は不思議に思った。「え? おい、琢磨。まだ到着までには1時間近くあるぞ? 何もそんなに急がなくても……」「あのなあ、この部屋にはどう見も俺はお邪魔虫だろう? だから早めに空港へ行って待ってるんだよ!」「あら、琢磨。気が利くじゃないの。でも本当の理由は違うんじゃないの? 朱莉さんから一度も連絡がなかったからイラついてるんじゃないの?」明日香の言葉に翔は琢磨を見た。「え? そうなのか? 琢磨」「う……!」(こ、こいつら……なんて無神経なこと言うんだ? 人の気も知らないで……!)琢磨は2人をジロリと睨み付けると明日香がわざとらしく肩をすくめる。「おお、怖い。朱莉さんは琢磨のこんな本性を知ってるのかしらね?」「うるさい! 明日香ちゃんにだけはそんな台詞言われたくないな!」
プルルルル……駅に向かって歩いている時に朱莉のスマホが突然鳴り響いた。その音に驚いた朱莉の肩がピクリと跳ねる。「い、一体こんな時間に誰から?」朱莉は足を止めると慌ててスマホを取り出し、息を飲んだ。(そ、そんな京極さん? な、何故突然……)京極には明日電話を入れるとメッセージを送ってある。なのに京極から電話がかかって来るとは思ってもいなかった。(どうしよう……。このまま電話が切れるのを待つ? でもそうすると京極さんをますます心配にさせてしまう)仕方が無い。出るしか無いだろう。そう思った朱莉は通話をタップした。「はい、もしもし」『朱莉さん! ああ、良かった……やっと出てくれましたね。心配しましたよ。いつもすぐに電話に出てくれる朱莉さんが何コール鳴っても中々出てくれなかったので』受話器越しから京極の安堵の声が聞こえてくる。「申し訳ございませんでした」朱莉は素直に謝罪する。『朱莉さん貴女の顔を見ながらお話したいのですが』「すみません、今は無理です!」京極の提案に思わず朱莉は強い口調で断ってしまった。『え? 何故ですか?』京極の声は驚きと、何処か悲しみが含まれているように朱莉は聞こえた。「あ、あのすみません。きつい言い方になってしまって。じ、実は今外にいるんです」『え? 何ですって? こんな夜分にですか?』京極の声が何処か鋭くなった。そして脳裏に先ほど見た光景が蘇る。「あ、あのコンビニに来ているんです。何だかお酒が飲みたい気分になって……それで買いにマンションを出て来たんです」朱莉は必死で言いわけをする。『そうですか。だから外が騒がしいんですね。でも朱莉さん。あまり夜分女性が町中を歩くものではありませんよ? 特に朱莉さんは一目を引く容姿をしているのですから、変な男に声を掛け兼ねられない』「な、何をまたおかしなことを言うのですか? わ、私は平凡な容姿ですよ」『朱莉さんは自分がどれだけ魅力的な外見をしているのかご自分で気付かれていないのですね。もう一度鏡で良くお顔を御覧になってみて下さい』京極の言葉に、朱莉は違和感を抱いた。(え……? 京極さん、どうしちゃったのかな……?)今夜の京極は何だかいつもと違うように朱莉には感じた。「もしかすると酔ってらっしゃいますか?」『何故そう思うのですか?』「い、いえ。何となくそう思っ
今を遡る事2時間前――「それにしても驚きましたよ。会長。突然日本へ戻って来られたのですから」応接室に呼ばれた翔は鳴海グループの会長である鳴海猛と向かい合わせに座り、会話をしていた。ここは鳴海邸。突然一時帰国して来た鳴海猛が翔を邸宅に呼びつけたのだ。「何故だ? いきなり日本に帰国すると何かお前に不都合でもあるのか?」相変わらず威厳たっぷりに猛は翔に尋ねる。「いえ、別にそういう訳ではありませんが」翔は内心の焦りを隠しながら冷静に返事をする。「まあ帰国と言っても一時的だ。中国支社にいたから、日本に久々に立ち寄っただけだ。2日後にはカルフォルニアへ行かなければならない」「カルフォルニアですか。これはまた随分遠くへ行かれますね」「ああ。最近あの地域は他の日本企業も多く進出しているからな。負けられない。実は現地で1500人の雇用を考えているのだ。どうだ、翔? お前カルフォルニアへ行く気はあるか?」「え? そ、それは……」(そんな、今の状況で日本を離れるなんて無理だ!)「ハハハ……冗談だ。責任者は現地で調達するからお前は気にすることは無い。だがいずれはお前にも海外支社を任すことになるかもしれんな。この通り、私はまだまだ身体は元気だ。当分現役で働けそうだからな。まあ、もっともお前がこの先、より一層成長すれば引退を考えてもいいだろう。可愛い曾孫も産まれることだし」猛は何処か目の奥を光らせ、翔を見た。「そうですね。順調にいけば5か月後には曾孫を抱かせてあげることが出来ますよ」動揺を隠しながら翔は笑顔になる。「それで朱莉さんは沖縄にいるそうだが、何故だ?」突然の核心を突いてくる猛の言葉に翔の全身に一気に緊張が走る。するとその時、まるでタイミングを見計らったかのようにドアをノックする音が聞こえた。――コンコン「誰だね?」猛がドア越しに声を掛けると、外から女性の声が答えた。『姫宮でございます』「ああ、君か。入れ」会長が促すとドアが開かれ、翔の新しい秘書である姫宮静香が現れた。長い黒髪に美しい容姿の女性だ。「お久しぶりでございます、会長」「ああ、そうだな。どうだ? 姫宮。翔の新しい秘書になって。何か意見はあるか?」「はい、まだお若いながら中々のやり手のお方だと感じました。私もこの方の下で色々学ぶことが出来そうです」姫宮は深々と頭を下
22時半―― 明日香はベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていた。こんなに不安な夜を過ごすのはあの時以来だ。こうして1人きりでいるとあの日の夜を思い出してしまう。母が、まだ幼い子供だった明日香を捨てて新しく出来た恋人の元へ去って行ったあの日の夜が――あの時から明日香は鳴海家で居心地の悪い立場の人間となってしまった。元々明日香は父親が誰かも分からない子供で、連れ子として鳴海家へやってきたのだ。それでも母がいる分にはまだ鳴海家での居場所はあった。しかし、母親が自分を捨てて出て行ってしまってから明日香はますます立場が悪くなり、邪魔な存在扱いをされ……特に翔の祖父からは徹底的に嫌われた。子供の頃は意味が分からなかったが、祖父からはお前は娼婦の娘だと良く言われて来た。鳴海家の使用人達からは馬鹿にされ、陰でいじめられていた。義理の父親は優しかったが、祖父に疎まれて海外勤務へ追いやられて屋敷からはいなくなってしまった。そんな居心地の悪い屋敷の中で唯一の救いが血の繋がらない数カ月だけ年上の兄の翔だったのだ。毎日泣いて暮らす明日香を見兼ねた翔は明日香の母親をこの屋敷に呼び戻そうとする為に、ある行動を起こした。それこそ、子供ながらの浅はかな行動を……。そしてあの事故が起こり、翔は明日香から離れなくなったのだ。「翔……。ひょっとして私に対する罪悪感から私と一緒になろうと思ったの? 本当は私のことは好きじゃなかったの……?」明日香の目に涙が浮かんできた。その時、明日香のスマホが着信を知らせた。その相手は朱莉からだった。「朱莉さん……」明日香は朱莉からのメッセージを読んだ。『こんばんは。明日香さん。夜分にすみません。実は東京に戻ってから、一度部屋に戻ったのですが、考えてみればこちらには翔さんが住んでいます。鉢合わせをする危険性があると思うので、ここを出て今から上野にあるウィークリーマンションへ滞在することにします。上野でしたら明日香さんが紹介して下さった安西さんの興信所もありますし、日比谷線で乗り換え無しで六本木に出ることも出来ますから。後、私の方でも翔さんと新しい秘書の方が気になるので、少し調べてみようかと思います。それではまた明日ご連絡いたします』「朱莉さん……こんな夜に上野へ行くなんて大丈夫かしら。私が行ければ良かったのに……。ごめんなさい、朱莉さん……」(翔…
朱莉はスマホを震える手で握り締めた。いつもの朱莉なら翔からのメッセージに心を躍らせていたのだが、今日だけは違う。(怖い……このメッセージには一体何て書かれているの? 翔先輩……貴方は今何を考えているのですか?)朱莉は深呼吸をすると、翔からのメッセージをタップした。『こんばんは、朱莉さん。近々出張で鹿児島支社に行くことになったんだ。その時に沖縄にも寄らせて貰うよ。朱莉さんにも新しい秘書を紹介したいし。日程が決まったらまた連絡するね。そう言えば車は買えたのかな? 沖縄に行ったら朱莉さんの車を見せてくれるかい? 楽しみにしているよ。それじゃまた明日。お休み』「……」朱莉はじっと翔から届いたメッセージに目を通し、……何度も読み返し、終いには目を擦ってみた。今夜の翔からのメッセージには違和感がある。(え? ど、どうして今夜のメッセージに限って明日香さんのことが何一つ書かれていないの? いつもなら必ず明日香さんのことが書かれているのに?)単なる偶然なのだろうか?今の朱莉は本日、明日香から見せられた写真とメッセージで疑心暗鬼になってしまっていた。だけど、ずっと明日香と翔のことを誰よりも近くで見てきたのは自分だと思っている。朱莉にとっては悲しいことだけども明日香と翔の間には決して揺らぐことのない強い愛情で結ばれていると感じていた。それこそ、朱莉の入り込む隙等無いほどに。 こんな内容のメッセージを明日香に見せられるはずが無い。自分のことが何一つか書かれておらず、代わりに新しい秘書のことが書かれているのを目にすればあのプライドの高い明日香のことだ。どれだけ深く傷ついてしまうだろう。朱莉は明日香に今迄散々辛い目に遭わされて来たけれども、妊娠してからは徐々に明日香は変わってきていた。だから、朱莉も色々思う所があっても明日香の態度が軟化してきたので歩み寄れたら……と考えていたのだ。なので、余計に今の話を明日香に知らせるわけにはいかない。「そう、たまたま今夜のメッセージは明日香さんのことが書かれていなかっただけ……」朱莉は無理に自分に言い聞かせた。それに今は明日香のことばかりを心配している訳にはいかない事情が発生してしまった。翔からのメッセージには近々沖縄に行くと書かれていたけれどもそれはいつなのだろう?もし数日以内だとしたら、朱莉は東京にいつまでも残ってい
――17時半 朱莉は那覇空港のお土産屋さんに来ていた。「お母さんと京極さんに何か沖縄のお土産でも買って帰ろうかな……」沖縄名物のちんすこうを手に取った時、朱莉はハッとした。「そうだ。明日香さんが無事出産が終わるまではお母さんや京極さんの前に姿を見せる事は出来ないんだっけ。何かボロが出たらいけないし」手に取ったお土産を元の位置に戻すと朱莉は溜息をついた。折角一カ月半ぶりに東京に帰るのに、母に会うことが出来ないのは何ともやるせないものだった。そしてふと思った。(もし……九条さんがまだ翔先輩の秘書をやっていたなら、九条さんの分だけでもお土産を買って会うことが出来たのに……)そこまで考えて朱莉は首を振った。(馬鹿ね。私ったら。九条さんはもう翔先輩の秘書じゃない。ようやく九条さんは煩わしいことから手が離れたんだろうから、もう九条さんのことは忘れないと)その時、館内放送が流れて朱莉の乗る飛行機のアナウンスが入った。「行かなくちゃ」朱莉は搭乗ゲートへ向かって歩き出した―― 20時半―朱莉は羽田空港で、荷物が届くのを待ちながら先程まで自分が乗っていた飛行機のことを思い出していた。(それにしても驚いたな。まさかビジネスクラスあんなにゆったりした座席だったなんて。明日香さんに感謝しなくちゃ)やがて荷物が回ってくると、朱莉は荷物を取って女子トイレへと向かった。 次に出てきた時には朱莉の姿は妊婦のような恰好へと変わっていた。実は女子トイレに入り、お腹にタオルを入れてスカーフで巻いて来たのである。念の為に朱莉は空港で妊婦の格好をしようと決めていたのだ。タクシー乗り場でタクシーを待ちながら朱莉は思案していた。(そう言えば沖縄へ行く時は京極さんが車を出してくれて、ここまで乗せてくれたんだっけ。色々お世話になったから、一時的に東京に戻って来たことを本当は伝えたいけど……)しかし、それは今の朱莉の立場では叶わない事だった――**** 朱莉が億ションに帰って来たのは22時近くになっていた。「それにしても、今日は雨が降っていなくて本当に良かった。おかげで家の換気が出来るわ」朱莉は窓を開けると、30分程換気をして窓を閉めた。シャワーを浴びて部屋にもどってくると、スマホに3件の着信が入っている。1件目は明日香からで、無事に朱莉が東京へ戻れて安心したこと
「お願いよ、朱莉さん。このままじゃ私不安で……」明日香が涙ながらに朱莉に縋りついてきた。「明日香さん……」あの気の強い明日香が自分に泣いて縋っている。朱莉はそんな明日香を放っておくことは出来なかった。本当は自分で東京まで行って確認してきたいだろうに……。明日香はこれから子供の出産を控えている。妊婦の明日香を不安な気持ちにさせておくわけにはいかない。だから朱莉は頷いた。「分かりました。明日香さん。もし、今日の飛行機の便が取れたならすぐに東京へ向かいます」「本当? それじゃ私が今飛行機を調べるから悪いけど朱莉さんは自宅へ帰って東京へ発つ準備をしておいて貰える? 後は……」明日香はベッドサイドにある棚から名刺入れを取り出すと、しばらくページをめくっていたが何かを見つけたのか1枚引き抜くと朱莉に手渡してきた。「朱莉さん、東京へ着いたらここを尋ねて貰える?」「安西弘樹……興信所?」朱莉は名刺に書かれている文字を読んだ。「その人はね、私の大学時代の恩師なのよ。5年前に大学を辞めて今は興信所の所長を務めているの。私から連絡を入れておくから、朱莉さん、どうかこの人を訪ねて。翔と秘書の事を調べて。お願い」明日香が頭を下げてきたので朱莉は驚いた。「そんな顔を上げて下さい、明日香さん。確かに私1人ではどうしようも出来ないと思います。分かりました。東京に着いたらこの方を訪ねます。だから明日香さんは、お腹の赤ちゃんにさわらないように安静にしていて下さい」朱莉は明日香を元気づけるのだった。 病院を出て朱莉はタクシーを拾うと自宅へ戻った。そしてサークルにいるネイビーを抱き上げた。「ごめんね。ネイビー。私、東京へ行かなくてはならなくなったの。だからペットホテルで待っていてね?」朱莉はネイビーに頬ずりすると、以前利用させてもらったペットホテルに電話を掛けた――「すみません。それでは1週間ほど、お願いします」朱莉はペットホテルの従業員男性に丁寧に頭を下げ、スマホをチェックしてみると明日香からメッセージが届いていた。『朱莉さん、飛行機の手配をしたわ。一応余裕を持たせて18時の便のビジネスクラスを予約したわ。今迄色々酷いことをしてごめんなさい。特にモルディブの件では悪いことをしてしまったと反省してるわ。今は貴女だけが頼りなの。どうかお願いします』「! 明日香さん
そこには仲睦まじげに歩く翔と見知らぬ女性が映っていた。その女性はロングヘアの美しい女性で品の良いカジュアルスーツを着こなし、翔に笑顔を向けて歩いている。それらの写真が様々な角度で何枚も撮影された姿がPC画面に映し出されていたのだ。朱莉は驚いて明日香を見ると、唇を噛み締めて青白い顔をして食い入るように画面を見つめていた。「あ、あの明日香さん……。これは……?」「2日前に突然私のPC用のアドレスにメールが届いたのよ。宛先人は不明だったんだけど……添付ファイルが付いていたわ」明日香は一言一言区切るように話をする。「いつもならそんなの迷惑メールだと思ってチェックをする事も無いんだけど、でもこのファイルの題名が『鳴海翔に関する重要事項』と題名が付いていてつい、開いて見てしまったの。そしたらこんな画像が……」最期の方は震え声だった。明日香の話はまだ続く。「このメールには文章が添えられていたのよ。見る?」「え……? 私が見ても構わないんですか?」「うん……いいわ。と言うか朱莉さんにも読んで貰いたくて……」「分かりました。それでは拝見させていただきます」朱莉は明日香宛に届いたメールを読んだ。『こちらに写っている女性は鳴海翔の新しい女性秘書である<姫宮静香>という女性です。秘書と副社長という立場でありながら、必要以上に2人の距離が近いような気がしたので写真を撮り、ファイルで送らせて頂きました。噂によると鳴海翔の前秘書である<九条琢磨>がクビにされたのは、この女性が進言したとも言われています。以上、報告させていただきます』朱莉はメールを読み終えると明日香を見た。「明日香さん……このメールの相手に何か心当たりはありますか?」「無いわ……あるはず無いじゃない! 私はずっとこの病院のベッドから動けないんだから!」「あ、明日香さん……」(そうだ……。明日香さんは絶対安静の身。それに翔先輩だって東京に行ってからまだ沖縄には来ていないのだから明日香さんに心当たりがあるはずない)「翔……。まさか……この新しい秘書のことを好きに……?」明日香の目には涙が浮かんでいる。「明日香さん……」勿論、朱莉もショックを受けている。朱莉だって翔のことが好きなのだ。だが、今は目の前にいる明日香のことが心配でたまらない。まだ安静が必要とされる状況でこんな写真をメールで送っ
「お客様、それではこちらのお車でよろしいでしょうか?」若い女性社員が朱莉の側に寄ると声をかけてきた。「はい、こちらでお願いします。とても素敵なデザインで、運転席の窓も大きくて見やすいので気に入りました」朱莉は笑顔で答える。朱莉は軽自動車を専門に販売している車の代理店に来ていた。ここは新車から、新古車……いわゆる展示用の車両でほぼ新車に近い車両を扱う店であった。いきなり初心者で新車を買って乗るのは図々しいような気がして、朱莉は敢えて新古車を選んだのだ。しかもたまたま気にいったデザインであったし、カーナビやドライブレコーダーなどは勿論の事、内装も朱莉好みにカスタマイズされていたからである。「それでは手続きを致しますので、店内へお入りください」女性社員に案内されて朱莉は中へと入って行った。それから約1時間後――朱莉は店を出た。事前に車購入時はどのような書類が必要か調べ、必要な物は全て揃えて来たので手続きをスムーズに行う事が出来た。「マンションの地下駐車場の契約も済んでるし……納車までは1週間か。フフフ……楽しみだな」朱莉は笑みを浮かべ、腕時計を見た。時刻は11時少し前を差している。(今からタクシーで明日香さんの病院へ行けばお昼前にはマンションに戻れるかな?)そして朱莉はタクシー乗り場へ向かった―― タクシーに乗る事15分。朱莉は病院へと到着した。翔と新しく契約した書類の書面通り、朱莉は週に2度明日香の元へ洗濯物の交換の為に病院へ足を運んでいた。明日香との会話は殆ど無く、挨拶をする程度だったのが……何故か今日は違った。――コンコン病室のドアをノックしながら朱莉は声をかける。「明日香さん、朱莉です。いらっしゃいますか?」すると中から返事があった。「いるわよ、どうぞ」「失礼します」朱莉は言いながらドアを開ける。「こんにちは、明日香さん。お腹の具合はどうですか?」「そうね……大分調子が良くなってきたわ。」明日香は真剣な眼差しでPC画面を見つめている。おまけに何故か顔色が悪い。(どうしたんだろう? 随分熱心に画面を見ているようだけど……?)「明日香さん、クリーニング済みの着替えを持ってきたので、入れておきますね」朱莉は明日香の衣装ケースにしまいながら声をかける。「ありがとう、朱莉さん。……いつも悪いわね」すると背後か
『朱莉さん、突然黙り込んでどうしましたか?』京極に声をかけられ、朱莉は我に返った。「あ……も、申し訳ありません。大丈夫ですから」『すみません。僕のせいですね。沖縄暮らしの期間について尋ねてしまったから』京極が目を伏せたので、朱莉は慌ててた。「いえ、決してそういうわけではありませんから」『あの、朱莉さん、実は……』その時、画面越しに映る京極からスマホの着信音が聞こえてきた。『すみません、朱莉さん。少し待っていただけますか?』「京極さん?」『……社の者からだ。こんな時間に電話なんて……』それを聞いた朱莉は言った。「京極さん、何か急ぎの用時かもしれません。もう電話切りますので、どうか電話に出てください」『すみません朱莉さん。ではまた明日、お休みなさい』「はい、お休みなさい」そして朱莉はPCの電話を切ると、ため息をついた。「京極さん……こんな時間までまだお仕事なんて大変だな……」朱莉は再びPC画面に目を向け、検索画面を表示した「どんな車にしようかな……」朱莉が見ているのは沖縄にある車販売の代理店のサイトである。明日朱莉は早速車を購入するつもりで、事前に車をチェックしようとしていたのだ。その時、朱莉の目に1台の車が目に止まった。それは白いミニバンの車だった。朱莉の耳に琢磨の言葉が蘇ってくる。『この車は軽自動車だし女性向きの仕様だからいいと思うよ。車を買うときは俺に声をかけてくれれば一緒に選びに行ってあげるよ』「九条さん……元気にしているのかな……?」思わずポツリと呟く朱莉。朱莉は琢磨が東京へ帰ってからは1度しかメッセージのやり取りをしていなかったのである。自分のスマホをタップして琢磨からの最後のメッセージを開いた。『朱莉さん。実はわけがあって、当分朱莉さんとは連絡を取ることが出来なくなってしまった。本当にごめん。翔に何か理不尽なことを言われたら必ず知らせてくれよなんて言っておきながらこんなことになってしまって申し訳ない。いつかまた連絡が取れるようになる日まで、どうかその時までお元気で』 このメッセージを最後に琢磨とは一切連絡が取れなくなってしまった。メッセージを送ってもエラーで戻って来てしまうし、電話を掛けても現在使われておりませんとの内容の音声が流れるばかりである。そこで慌てた朱莉は翔に連絡を入れると意外な事実を聞